紙書籍の読書・執筆はタイパ最悪?今の時代の知識習得経路

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タイパが悪いと読書課題を嫌がる学生が増加傾向

近年、若い世代の間で「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が頻繁に使われるようになっています。コストパフォーマンス、いわゆる「コスパ」に続き、時間の効率を重視する価値観が浸透してきており、特に学生や若手社会人の間では、「いかに短時間で成果を得るか」が重要視される傾向が顕著です。
その影響は学びの場にも及んでいます。大学の講義や課題として出される「一冊の本を通読し、内容をまとめる」という課題に対し、「読むのに時間がかかりすぎる」「要点だけで十分なのでは」といった不満を抱える学生が増えてきました。特に読書量が多く、学術的な文体の書籍になると、その傾向は顕著です。
このような背景には、SNSや動画メディアの普及、そして「効率化こそ正義」という社会的価値観の変化があります。時間が限られる中、短時間で多くの情報を処理することが「賢い学び方」とされる風潮が強まり、読書のように時間と集中力を要する行為が「非効率」とみなされがちになっているのです。
そこで本稿では、改めて本を読んだり執筆することの非効率性を説明したうえで、それでも本が社会から淘汰されない理由を説明しいます。

1冊の本には既によく知っている内容や知らなくても構わない内容も多く、読む必要のない内容も多い

確かに、実際に一冊の本を読んでみると、「これはすでに知っている」「特に関心のない話題だ」という部分に出くわすことも少なくありません。たとえば、ビジネス書や自己啓発本では、導入部や著者の経歴紹介、エピソードの繰り返しなどが多く、読む人によっては「冗長」に感じる部分が存在します。
また、一般向けの新書や専門書であっても、読者が求める情報や視点とは異なる内容が含まれていることがあります。これらの部分を「読む必要のない内容」と判断し、効率を重視する人ほど「全体を読む意味はあるのか」と感じてしまうのです。
このような感覚が「読書はタイパが悪い」という印象を生んでいることは否定できません。一冊の本を通読するには、相応の時間と労力がかかりますし、全体の内容のうち、自分にとって有益だと感じられる情報がごく一部である場合、その投資に見合ったリターンを感じにくくなるのも無理はありません。

1冊の本の要約サイトやショート動画の増加、生成AIも要約を作成できる時代

こうした背景のもと、現在では「要約」に対するニーズが急激に高まっています。ビジネス書や話題の書籍の要点を10分程度で解説するYouTube動画、数千冊の要約を掲載しているWebサービス、さらには生成AIを活用した自動要約など、多様な形式で「読まずにわかる」手段が充実してきました。
これらのサービスを活用すれば、通勤時間や休憩中に知識のインプットが可能であり、タイムパフォーマンスを最重視する現代人のニーズにぴったり合致しています。特に、ビジネス書やノウハウ系の書籍など、要点だけで理解が成立するようなジャンルでは、その効果は高く、書籍を読む時間を短縮できるという意味でも有効です。
さらに、生成AIは個別の要望に応じたカスタマイズ要約が可能であり、例えば「この本の第3章だけを要約してほしい」といったニーズにも柔軟に応えられます。こうした技術の進歩によって、「読むこと」そのものを省略し、必要な情報だけを抽出して学ぶというスタイルが現実的になってきているのです。

特に知りたい分野の内容を掘り下げたコラムや動画解説も効果的

また、最近では特定のテーマについて深掘りしたコラム記事や専門家による動画解説の質も非常に高くなっています。書籍よりも柔らかい語り口で、図解やアニメーションを交えて視覚的に説明されることで、短時間でも理解しやすく、記憶に残りやすいと評価されています。
こうしたコンテンツは、書籍を読むよりも取っつきやすく、また読者・視聴者の「ここが知りたい」というニーズにピンポイントで応えてくれるため、効率的な学びを可能にします。特に、ある程度基礎知識がある分野や、特定のトピックだけを把握したい場合には、書籍よりも優れた選択肢になることもあります。
このような情報源を積極的に活用することによって、「本を読む時間がないから学べない」という制限は大きく緩和されてきました。現代においては、「学び=読書」という固定観念にとらわれる必要はなく、むしろ多様な媒体を使い分ける柔軟な姿勢が求められているともいえるでしょう。

個別の知識では意味がない。体系的に学ぶためには1冊の本の通読も必要

とはいえ、だからといって「本を読む必要はない」と結論づけるのは早計です。なぜなら、短縮された情報は「点」としての知識にとどまりがちであり、「線」や「面」のように体系的な理解を得るには不十分だからです。
一冊の本には、著者の視点や構成、前提知識から応用までの流れが意図的に組み込まれており、その全体を通読することで初めて「概念の関係性」や「因果構造」、「背景にある問題意識」などが見えてきます。要約では省略されがちな「なぜこの話をここで入れているのか」「なぜこの例を用いているのか」といった構成の意図も、本を読むことで理解できるのです。
また、読書には「思考力」や「集中力」、「論理的な理解力」といったスキルを鍛える側面もあります。読む行為そのものが、知識の獲得以上の価値をもたらすことを忘れてはいけません。体系的な学びを重視する大学教育や研究活動においては、なおさら一冊の本を丁寧に読む姿勢が重要となります。
したがって、「読む必要のない部分があるから非効率」とするのではなく、「全体を通して理解することの意味」に注目すべきなのです。知識を「積み上げる」のではなく、「繋げる」ことを目指すならば、読書は今なお最も有効な手段のひとつであるといえるでしょう。

まとめ

「読書はタイムパフォーマンスが悪い」とする意見には、それなりの理由があります。情報が氾濫し、効率を求める時代において、要点だけを短時間で知る手段が多数登場し、それらは確かに便利です。
しかしながら、学びとは単なる情報の断片を得ることではなく、物事を深く理解し、他の知識と関連づけ、思考を発展させる営みでもあります。そのためには、あえて非効率にも見える「一冊の本を丁寧に読む」という時間が、長期的には非常に高いリターンをもたらす可能性があるのです。
要約や動画を補助的に使いつつ、必要なときには本をじっくりと読む。そうしたバランス感覚を持つことが、真にタイムパフォーマンスの良い学び方といえるのではないでしょうか。
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