モラハラの主張は増加。しかし解決事例はまだまだ
近年、離婚原因として「モラルハラスメント(モラハラ)」を主張するケースが急増しています。暴力のように身体的な被害を伴わないにもかかわらず、「心が壊れた」「精神的に支配された」として離婚を望む人が増えているのです。情報番組やSNSでも「見えない暴力」としてモラハラが取り上げられ、社会的にも認知が進みつつあります。
しかし、実際の離婚や裁判の現場では、このモラハラの主張が容易に認められるわけではありません。理由は単純で、「どこからがモラハラなのか」という明確な基準が存在しないためです。殴る・蹴るといった身体的暴力であれば証拠も明確ですが、モラハラは言葉や態度の問題であり、被害者の主観に大きく依存してしまいます。ある人にとっては些細な冗談でも、別の人には深刻な侮辱に感じられることがあります。そのため、同じ発言が「冗談」と取られるか「精神的暴力」と判断されるかは、状況次第で大きく異なります。
裁判においても、モラハラが離婚原因として認められるかどうかは、日常の記録、メール、LINEのやり取り、周囲の証言など、多角的な証拠が求められます。被害を訴えても、裁判官が「夫婦喧嘩の範囲」と判断すれば離婚が認められないこともあります。つまり、モラハラという言葉が広く浸透した今でも、その実態を法的に明確に認定することは難しいです。
一方で、モラハラという概念が一般化したことで、以前よりも精神的な苦痛を言葉にしやすくなったという側面もあります。「暴力がないなら我慢すべき」という時代から、「心の傷も尊重されるべき」という価値観へと社会が移り変わっているともいえます。こうした時代の変化を踏まえ、本稿ではモラハラの判断の難しさを整理し、世代ごとに異なる感じ方、そしてその違いを乗り越えるための具体的な対話の重要性を考えていきます。
比較的明らかなモラハラ
モラハラの定義が曖昧であるとはいえ、社会的に「これは問題行為だ」とほぼ一致して認識されるケースもあります。たとえば、物を壊す、大声で怒鳴る、威圧的な態度を取るといった行為です。相手に直接手を出していなくても、壁や机を叩いたり、物を投げたりすることは、相手に強い恐怖心を与えます。これらは刑法上の暴行罪に該当しない場合もありますが、精神的な圧迫という意味では明確なモラハラにあたります。
たとえば、配偶者が些細なことで声を荒げ、怒鳴りつけるような態度を何度も繰り返す場合、家庭内の空気は常に緊張状態になります。相手は自分の言葉を選び、顔色をうかがいながら生活するようになり、次第に発言や行動を制限するようになります。このような「支配的な空気」は、実際に手を挙げるよりも深刻な精神的ダメージを与えることが少なくありません。
ただし、注意しなければならないのは、「一度の出来事」で直ちに離婚原因として認められるわけではないということです。人間関係の中では、感情が爆発する瞬間もあり、それをただちに「ハラスメント」と断定するのは現実的ではありません。しかし、同様の行為が繰り返され、相手が常に恐怖や不安の中で生活している場合には、それは「精神的暴力」として認定される可能性が高まります。
また、こうした行為が行われる背景には、「自分の正しさを相手に押しつけたい」という支配欲が潜んでいることも多いです。つまり、行為者本人は「悪気がなかった」と主張しても、相手が委縮し、意見を言えなくなる状況を作り出している時点で、関係はすでに不健全な状態に陥っています。
このように、モラハラの一部には比較的わかりやすい行動パターンがあるものの、どの程度で「離婚原因」となるかは依然として難しい判断です。だからこそ、言動を冷静に振り返り、記録を残しておくことが、後のトラブル防止につながります。
若い世代はプライバシー侵害をモラハラと感じやすい
モラハラの感じ方には、世代間で大きな差があります。特に若い世代ほど、身体的な暴力よりも「プライバシーの侵害」をモラハラと捉える傾向が強まっています。
現代の若者は、スマートフォンを中心とした個人コミュニケーションに慣れています。SNSのアカウントやLINEの履歴は、いわば「自分の部屋」と同じような感覚で守られており、そこに無断で踏み込まれることは大きなストレスになります。実際、職場でのパワハラ相談でも「勤務時間外にLINEで連絡が来る」「既読スルーを責められる」といったプライバシー関連の訴えが増えています。
家庭内でも同様に、配偶者がスマホの画面をのぞき込んだり、「誰とLINEしてるの?」と頻繁に尋ねたりすると、それをモラハラと感じる人が多いのです。これまでの世代では「夫婦なのだから秘密は不要」という価値観もありましたが、現代では「夫婦でも個のプライバシーは守るべき」という考え方が主流になりつつあります。
この変化の背景には、個人の尊重を重視する社会の潮流があります。恋人や夫婦であっても「相手の時間や情報には踏み込まないこと」がマナーとされ、信頼関係は「干渉しないこと」によって維持されると考える人が増えています。逆に言えば、プライバシーへの無理解が、信頼を失わせる最大の要因になっています。
さらに、こうした考え方が広まった結果、「結婚=自由の喪失」と捉える若者が増加しています。SNSを通じて誰とでも自由に交流できる時代に、夫婦という枠組みが「監視」や「制約」と感じられてしまうのです。結果として、結婚をためらう若者が増えているのも無関係ではありません。
このように、若年層にとってのモラハラとは、相手の言葉よりも「どこまで自分の領域を尊重してくれるか」に関わる問題です。感情的な支配よりも、日常的な干渉のほうが深刻な精神的圧迫となる時代になっているのです。
高齢者層では自由の侵害をモラハラと感じやすい
対照的に、高齢者層では「自由の制限」をモラハラとして感じやすい傾向が顕著です。定年後の生活では、時間に余裕ができる一方で、家庭内のルールが強く意識されるようになり、配偶者との生活リズムの違いがストレスを生むことがあります。
たとえば、長年の喫煙者が「家では吸わないで」「冬でも外で吸って」と言われると、「自分の家なのに自由がない」と感じてしまうことがあります。健康のために善意で注意している側からすれば当然のことですが、言われた側は「自分が悪者にされた」と受け取ってしまいがちです。
また、休日の予定を一方的に決められることも、モラハラと感じる要因になりやすいです。退職後、「せっかくの自由な時間を配偶者の用事で埋められる」と不満を抱く人も少なくありません。家庭内での自由を守りたいという気持ちは、年齢を重ねるほど強くなります。若いころは我慢できた小さな制約も、自由時間が増えると逆に目立ちやすくなり、息苦しさを生みます。
さらに、高齢期には健康不安や経済的制約など、すでに「自由が減っている」状態が多く存在します。そのうえ家庭内での行動を細かく制限されると、「もう自分には決定権がない」と感じ、深い無力感に陥ることがあります。これが積み重なると、心理的な萎縮が起こり、家庭内で孤立するようになります。
このように、高齢者層にとってのモラハラとは、単なる「言葉の暴力」ではなく、「自分の生き方を否定されること」に近いものです。世代によって価値観が異なるため、若い世代から見れば「健康のための配慮」でも、高齢者にとっては「人生の楽しみを奪う行為」と感じられるがちです。
したがって、世代ごとの価値観を理解しないまま、相手の行動を「間違い」と決めつけることは、意図せずモラハラを引き起こす原因になります。重要なのは、相手が何を不自由と感じているのかを丁寧に聞き取る姿勢です。
対話によるすり合わせが必要
モラハラの難しさは、「誰が悪いか」ではなく、「お互いの感じ方のズレ」にあります。したがって、最も重要なのは、そのズレを定期的な対話で埋めていくことです。
夫婦間のモラハラは、離婚原因第1位の「性格の不一致」と深く関係しています。つまり、モラハラが起きているということは、すでに両者の価値観のズレが顕在化しているサインなのです。放置すれば、やがて修復が難しい段階に進みますが、初期の段階で「お互いに何が嫌なのか」を話し合うことができれば、十分に関係を再構築できます。
重要なのは、対話の「頻度」と「姿勢」です。年に一度の話し合いでは遅すぎます。月に一度、あるいは節目ごとに「最近どう感じているか」を共有するだけでも、誤解やストレスを早期に解消できます。このとき注意すべきは、「あなたが悪い」と責める口調ではなく、「私はこう感じた」という自己開示の形式で伝えることです。攻撃的になれば防御反応を生み、かえって溝が深まります。
また、対話の場を設ける際には、互いに冷静でいられる時間を選ぶことも重要です。感情が高ぶった状態では、正確な意思疎通はできません。お互いに話し合いの意義を理解し、「関係を良くするための時間」と位置づけることが大切です。
もし二人だけでの話し合いが難しい場合には、第三者やカウンセラーを交えるのも一つの手です。第三者の視点を加えることで、客観的に自分の言葉や態度を見つめ直すことができます。家庭裁判所の調停なども、必ずしも離婚を目的とした場ではなく、関係修復を模索するための中立的なサポートの場として利用できます。
モラハラを「加害」「被害」の関係としてだけ捉えるのではなく、「価値観の衝突をどう乗り越えるか」という視点に切り替えること。これが、問題を根本から解決する唯一の道といえるでしょう。
まとめ
モラハラは、身体的暴力のように明確な線引きができないため、非常に判断が難しい問題です。しかも、時代や世代によって「何がモラハラか」という感覚が変化し続けています。若い世代はプライバシーを侵害されることに強いストレスを感じ、高齢者は自由を奪われることに敏感です。同じ行為でも、受け手が違えば意味が全く異なるという点に、この問題の根深さがあります。
だからこそ、重要なのは「感じ方の違いを前提としたコミュニケーション」です。互いに完璧な理解はできなくても、「相手はこう感じるのだ」という事実を共有することができれば、それだけで関係は大きく改善します。モラハラの多くは、意図的な攻撃よりも「無自覚なすれ違い」から始まります。その芽を摘むためには、日常的な対話が欠かせません。
モラハラを避けることは、単に争いを防ぐためではなく、相手との関係を深めるためのプロセスでもあります。定期的に言葉を交わし、互いの思いを知ること。それが、家庭という小さな社会を健全に保つ最も確実な方法です。


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